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弱音を照射するということ;太宰治

 2005・3筆記

 太宰を否定する読み手は多い。いわく「太宰は通過点に過ぎぬ。いつまでも大の大人が関っていたら大火傷をする」いわく「一度は切り込まねばならぬ作家だろうけれど、そこに留まっていては何も埒があかぬだろう」いわく「太宰は、喩えれば初恋のような人。現実を経ていく度に懐かしき面影だけが幻影化されて、けど、きっとそこには戻らないだろうし戻れないのよね」「太宰を踏み越えていくことで何かが判然とする。その判然とした領域で振り返った時、ああ、太宰を知ってよかったなと初めて穏やかに微笑むことができる、というか、一度はだからこそ是非、知らねばね」様々な太宰評をこれまで幾度となく聞いてきた。その度ごとにけれど皆、一様に「だが、太宰に留まっていてはいけませんよ」なる言説をまるで繰言のように聞かされてもきた。
 皆、やはり私も含めて太宰に留まることが怖かったのではないか?いまではそいいう想いこそ強い。踏み留まれば待っているのはいうまでもなく大口を開けた死の淵?。太宰を斜め読みすればいくらでも逃げ口上は作れる。けれど真正面に向き合って太宰のひいては人間・津島修治の等身大の姿見を従えじっと目を凝らしてその文章を読んでいけば、何かが、ぽつりと口について出る。それが、その読み手のありのままの深層。太宰はきっと“死の淵”のもっとその奥に居よう。

 私はいま太宰観を問われてありのままにこう呟いています。「太宰は好きですよ。太宰ほど気優しい文章を編める作家はいませんもの。太宰はですね。じんわりゆんわりあとから効いてくるんです。けど、効いてきた先に私にはそれらを否定した文人、そう、あの三島がいますから。三島に感化した私がいて、だからこそ否定する私が居たし、見えてくるものもあるんです。三島に感化するほどの歪曲な人間かよ?と笑われて言下に文句を並べていた自分も含めていまは太宰を眺めていますよ。そういう域だけで本当は充分なんですよ。つまり私にとってはもはや太宰は実は否定も肯定もない文人になったということですね。太宰は太宰。私は私。いまでもだから太宰は私の中で巣食っているし、普通に斜め読みしないで読める文人となりました」歳を重ね太宰を真っ向から否定してかかった10代時分の私がいまはただただ懐かしい……。

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