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おまえは何をしてきたのだと-僕の中の中原中也;中原中也 

   2005・5筆記

 中也はいまだに僕に呟いてきます。 
 「雲の間に月はいて それな汽笛を耳にすると 悄然として身をすくめ 月はその時空にいた それから何年経ったことか 汽笛の湯気を茫然と 眼で追いかなしくなっていた あの頃の俺はいまいづこ……頑是ない歌より」 あれは、そう確か僕が中学生の頃、十代の頃でした。学校の図書館の四隅の本棚にその本はひっそりと、さも僕が手にし易いように置かれていましたっけ。中原中也『在りし日の歌』

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 この詩人にはじめて接した時の感動は未だに僕の記憶から消えていません。ああ、なんと悲しい歌が綴ってあるのだろう、なのに何故、これ程までに優しい心根で読み進んでゆけるのだろうか? それ以来、この詩人の著作、様々な作家の描く中也の実像が知りたくてたくさんの書物をひもといてきたつもりです。そこから推察されうる彼本来の性質はその悲しく優しい詩とはあきらかに違ってかなり猛々しいですよね。あの中也の肖像からはとても及びもしない荒々しい性格。そこからつむぎだされた読む人の心根を優しく愛撫するかのような詩の羅列。僕なりのこれはまったく僕なりの私感なのですが、中也はかなりの孤高の人だったのではないのかなと。なかなかその詩境が他に理解されず絶えず苦悩していた。酒を飲み管を巻き暴言をわめきちらす中也の姿はつとに有名ですけれど、そして人としてはかなりの嫌われ者だったという気もします。ただそんな荒くれ者がえてして人間の本質をえぐることに長けていたりするものでけっして他者からむげに排除されうる存在ではないはず。そんな性質の多くの者達が世間の片隅に追いやられてゆく中で中也には、けれど詩があった、つまりそれはひいては詩の世界に逃げることができた、あるいは耽溺できる世界があったとも言えましょうね。「ホラホラ、これが僕の骨だ、生きていた時の苦悩にみちた あのけがらわしい肉を破って、しらじらと雨に洗われ、ヌックと出た、骨の尖。……骨より」 中也はいま草葉の陰でどんな管を巻いているのでしょうか?おお~い、中也!いい酒を持ってきたぞ、一緒に飲もうや!!

 誰も語らなかった中原中也 誰も語らなかった中原中也
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コメント

中原中也は大学にいるとき、課題で出ました。私は、「骨」が一番好きです

 青春さん、ようこそ。
 こちらにもお越しくださり、有難うございます。

 中也は僕が敬愛する詩人、邦人のひとりです。

 その紡ぎだされた羅列には物悲しい響きが伴っておりますけれど、ただそれだけに耽溺したひとではありませんね。

 面白いもので、歳を重ねるごとに中也の色々な詩篇が形を変え、僕に染み入ってきます。

 孤高のひとではありましたけれど、中也がのちのちまで存命ならば、どんな詩を書いたのだろうと想像する時には孤高では無かった中也像を浮かべてみたりするのです。中也はそんな想像力を未だ僕に捧げてくれる“有りがたい”ひとでもあります。

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