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2009年4月

「哀しみばかりを語るんじゃないよ。……」;宮沢賢治

 2006・9筆記

 「哀しみばかりを語るんじゃないよ。苦しみばかりを語るんじゃないよ。愉しみばかりを書いたって誰も振り向きはしないものだよ。いいかい!?心で語りなさい。喜怒哀楽、ひとの心には誰しもに、その心なるものが根ざしている。あなたには、その心を見通せる技量が既に備わっておりますよ。ゆっくり自身を見つめることです。それがあなたの明日を創るのですよ。」それが、僕が20代前半の頃に、さる、師から賜った言葉。 

 その師がお亡くなりになり既に十数余年。還らぬひとと想いながらも、いまだにその師の夢をよく見てしまう。師はあまりにも著名であったが僕なんかを捕まえてよく、謎かけをしてくれた。たとえればふたり、街中を連れ立って歩んでいる。いきなり、あの青年、どう想う!?なんて呟かれる。「はい?」などと僕は返答に窮し、まごまごしていると「人間を語るには、人間を観察するのが一番です。」とおっしゃられた。せっせと書いたものを括っては先生の居所へ行きご評価を賜る。ご自宅にお電話すると、大抵、奥様が出られ「今日はどこどこに……」とお教えくださり、その地が都内某所なら僕はかの地へと飛んで行く。その繰り返しの時期が三年ばかり続いた。小説執筆、その間に僕は映画館と酒場と格闘技、そして女の子に夢中な、どこにでもいる青年だった。

 苦しかった。でも恒にどこか誇らしげであったのではと想う。僕は偉大な師を独占している。いまでは誠、美しき日々。時が巡り「輝いていたな……」などと僕もいっぱしにさもてらいなくあの頃を振り返る歳になった。つい、先達て、かの師のまた夢を見た。師は夢の中で、僕にこう、言っていた。「いまは苦しくてもきっとまた輝いていたなと想えるときがまいりますよ。」あまりにも示唆的であまりにも直截的で、僕は夢から覚め驚愕していた。いっときまだ、夢の続きの只中のひとのようでもあった。

 師の身体は没しても、その御霊はいまだ僕のなかにあるのだなと僕は僕を慰めてみる。師の功績は、今更ながらに燦然と煌いている。僕は、その足元にも及ばない未完の作の山、山、山だ。だからこそ僕はこの歳になっても、かつての師を仰ぎ見る。その前に鎮座する想い。師は、僕にはとても優しかった。けれど書くものには手厳しかった。普段の師は、あんなにも慈愛の込められたお言葉を僕に注いでくださられた。想い起こせばちょっと泪が溢れそうになるほどだ。師は、その書く物、書く物、人間のはかなさをこれでもかこれでもかとまるで迫り来る大鬼の如き筆致で、ものされていた。その姿勢は死する、その日までけっして妥協なさらぬもののように想えた。なのに普段はとても柔らかい微笑と暖かい言葉を選んでかけてこられる方だった。

 僕もいつかは、
 そんな師とまた巡り合うことでしょう。
 師は「その日はまだですよ」と、
 夢の中でいまだ手招きをしてくださらない。

 そんな僕の師がもっとも好きだと評した作家、そのひととはかの宮沢賢治という物語作家だった。

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ひとり、三島を想う時;三島由紀夫

 2005・5筆記

 三島由紀夫が、読まれている。生誕・80年、自決して30年、現代の日本人、その世情においても三島は決して過去のひとでは、無いらしい。幼き頃から文学青年であった私としても、素直に喜ばしきことだと、思いたい。『潮騒』『金閣寺』『仮面の告白』『鏡子の家』『豊饒の海』、様々な三島の心根が、文、綾となって散りばめられている。さる文芸批評家の断によれば、読み次がれている理由のいくつかに、日本の危うい行く末に警鐘を鳴らしていた点、卓抜とした頭脳から導き出された純粋な文章としての秀逸さ、更にトリック・スターよろしく初めて文壇から世論の只中に降りてきた点、などが掲げられている。実際、三島はよく世論の沸騰する只中に降りて来ていた。石原慎太郎氏が目撃したボクシング特訓や、あまりにも有名なボディビル鍛錬、野坂昭如氏の『文壇』においても、しばしば三島は日常、それこそ平々凡々な一市民とのふれあいも欠かさなかったと有る。マスコミ登場頻度も高く、映画に出演したり、とにかく後年の三島は何者かに取り憑かれたかのように、その顔を売っていた。普通、小説家は自身の顔を出来うるだけ隠したがるもので、特にそれは昭和文壇に多い性癖だが、かの川端康成などは写真を取られることを極度に怖れ、カメラのアングルから逃げ廻っていたと、聞く。果たして何故に、三島はああも自身の顔を売る必要があったのだろうか?、三島を揶揄する向き、いわゆる三島嫌いの連中にかかれば、「あれは、自身の才能の枯渇を見たのさ。だから、マスコミに自身の顔を売って取り繕っていただけさ」ということになるのだが、そんな短絡的な三島批難に、三島が残した功績がいとも容易く朽ちるだろうか?。鉢巻を巻き軍服姿の出で立ちの三島は、吼え、意思を伝え、そして自らの命を絶った。急を知り駆けつけた盟友・川端は、その無残な死した三島の姿を見たという。川端の後年、宿で按摩の灸を受けている時、ふと川端は後ろを振り向き、「三島君、来たね?。元気そうだね?」と声を発して按摩を驚かせたという。文章を編むということに文字通り心身を傾けた盟友・三島を失った川端の寂しさ、それは顔を売る三島の、論外、その極にあることだけは私にも判然と察せよう感慨だ。世界に名だたる「文聖」は紐解くにはあまりにも極上の懐を有している。そういうやからは実際、生前の全著作を紐解いたのち論じていただきたい。その一端、手前の段階で 「自身の才能の枯渇を見たのさ」なんて断罪するなんてとんでもないことですよ。

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  はてなダイアリー・三島由紀夫

  三島由紀夫割腹余話

 
 

いまとなっては忘れようにも忘れられようか・我が父が愛した童話作家;椋鳩十 

 父が座した胡坐に腰掛けて父の朗読する童話に聞き入っていた、幼かった頃の私。最早、遠い遠い過去のようで、ただ想い出すのは酒さえ飲まなければ優しかった父の面影。時は過ぎ、入院加療中の父がまだ多少元気だった頃、父にせがまれてそんな父の片腕を抱きながら、入館した椋鳩十文学記念館。ほんに寒い日のことで南国だというのに、霙が降っていたような。なのになんだか頑強に「行くぞ」とせがんだ父。「俺は一度は生涯、ここに来たかったんだよ」と確か父は言っておりましたっけ。そんな父も、もうこの世に居ない。出来ることならば、父とふたり、元気にきっと快復した父と今度は図書館の方にも尋ねてみたかった。もう、それは叶わない。椋鳩十の童話を手にする度に、父が私に人として何が大切なことか、知らしめようとした当時の心根が感じ取れて、今はただただ今在るは、あの父のお陰かと。愛情表現が下手で怒ってばかり居た風情の父が、私に示した微かな人としての情。父の優しさがいまはただただ胸に滲みております。……我が、実父、死して2年。今日は全く個人的感慨で誠に申し訳、ありません。   
                             2008・4筆記

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  想・まっく様拠り「踏み切りの傍に咲く」

  児童文学者『椋鳩十』の故郷
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  妙見温泉 石原荘 ~石原荘便り~椋 鳩十
  秋・鹿児島・文豪が愛した街
  「椋鳩十作品における鹿児島方言」参考資料

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ゆらりとよろめいているということ;堀辰雄

 2006・1筆記

 懐かしい想い出を手繰り寄せるかのように、忘れかけた頃にめくってみたくなる書がある。堀辰雄『風立ちぬ』。
 有名なヴァレリーの詩句「風立ちぬ、いざ生きめやも。」に題を採ったとされるこの小説には、著者が生涯見つめて止まなかったひとの死、最愛の者との儚い別れ、そこから起こる果てしなき心根の葛藤、それらへの連綿たる愁傷感が横溢している。幼すぎて意味も判らず、読みかけで終わっていた書を中学の高学年で読了し、けれどそこに何を僕が判然と見出せようか。この哀感の一書が、僕にぼんやりとさも雲の切れ切れのようにけれどゆっくりとなびくかのように問いかけてきた時分とは、忘れもしない19歳、その終わり頃のことだった。当時、僕はふたつ年上の女性に恋をしており、その女性がこよなく愛した小説家こそ、堀辰雄であり、『風立ちぬ』だった次第。彼女との往来の日々は、僕に数々の夢をもたらしたのだけれど、ここではそのことを深く書き綴ることは控えておきましょう。ただひとつはっきりと記すことがあるとするならば、僕は恋した女性と当時、堀辰雄の世界をしっかりと共有したのだなという真実、これのみ。僕の心根を「愛しきひと」が堀辰雄の世界へと急がせたのだといまでは想えます。

 堀にとって婚約者であった矢野綾子との高原診療所での、いわばサナトリウム生活は果たしてどんな悲哀をもたらしたのか?、昭和の初頭において国民病とも恐れられた結核という病は、後年、抗生物質という妙薬によって次第に人々の畏怖心を取り除いてゆくのですけれど、『風立ちぬ』発表当時(昭和13年)はまだまだ猛威を振るっていた“死病”であり、堀は自身も療養生活を送ったこともある診療所に、婚約者を入所させた。日を追うごとに痩(や)せ衰え、それでもけなげに微笑みを返そうとする婚約者。愛しきひとがいつしかその影も踏めぬ時が来る。これはさぞやのちも生きてゆかねばならない者にとっては運命なんぞという軽々しき言葉では言い尽せぬ想いだったのではと想い巡らした、自身、若年の頃。
 堀辰雄は、その後、50歳という若さで黄泉の国へと旅立っていく。その晩年は病気がちでひとり静かに自室に篭(こも)っていることが多かったと言われております。僕は今日、その書をいま一度、紐解きたくなったのです。もはや感慨ただそれのみではなく・・・・・・。もう一度、この作家ともただ一途に正面から対してみたくなったのです。もう二度と若年の頃の想いには至れぬだろうけれど、僕を揺り動かす衝動。それが、何か?少しその何かの手がかりを掴みたくてまた、その書を開くのです。

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  文学に見る障害者像
  軽井沢を歩く

  堀辰雄のページ
  文化翻訳者としての位置
  堀辰雄文学記念館
  堀辰雄の『聖家族』を読む

 風立ちぬ・美しい村 風立ちぬ・美しい村
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おまえは何をしてきたのだと-僕の中の中原中也;中原中也 

   2005・5筆記

 中也はいまだに僕に呟いてきます。 
 「雲の間に月はいて それな汽笛を耳にすると 悄然として身をすくめ 月はその時空にいた それから何年経ったことか 汽笛の湯気を茫然と 眼で追いかなしくなっていた あの頃の俺はいまいづこ……頑是ない歌より」 あれは、そう確か僕が中学生の頃、十代の頃でした。学校の図書館の四隅の本棚にその本はひっそりと、さも僕が手にし易いように置かれていましたっけ。中原中也『在りし日の歌』

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 この詩人にはじめて接した時の感動は未だに僕の記憶から消えていません。ああ、なんと悲しい歌が綴ってあるのだろう、なのに何故、これ程までに優しい心根で読み進んでゆけるのだろうか? それ以来、この詩人の著作、様々な作家の描く中也の実像が知りたくてたくさんの書物をひもといてきたつもりです。そこから推察されうる彼本来の性質はその悲しく優しい詩とはあきらかに違ってかなり猛々しいですよね。あの中也の肖像からはとても及びもしない荒々しい性格。そこからつむぎだされた読む人の心根を優しく愛撫するかのような詩の羅列。僕なりのこれはまったく僕なりの私感なのですが、中也はかなりの孤高の人だったのではないのかなと。なかなかその詩境が他に理解されず絶えず苦悩していた。酒を飲み管を巻き暴言をわめきちらす中也の姿はつとに有名ですけれど、そして人としてはかなりの嫌われ者だったという気もします。ただそんな荒くれ者がえてして人間の本質をえぐることに長けていたりするものでけっして他者からむげに排除されうる存在ではないはず。そんな性質の多くの者達が世間の片隅に追いやられてゆく中で中也には、けれど詩があった、つまりそれはひいては詩の世界に逃げることができた、あるいは耽溺できる世界があったとも言えましょうね。「ホラホラ、これが僕の骨だ、生きていた時の苦悩にみちた あのけがらわしい肉を破って、しらじらと雨に洗われ、ヌックと出た、骨の尖。……骨より」 中也はいま草葉の陰でどんな管を巻いているのでしょうか?おお~い、中也!いい酒を持ってきたぞ、一緒に飲もうや!!

 誰も語らなかった中原中也 誰も語らなかった中原中也
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踏み留まらない、恒にその先へ;松本清張

 2006・9筆記

 昭和文壇史上、一際異彩を放つ作家と申せば私の中では松本清張です。齢42にての作家デビュー、森鴎外の小倉日記に材をとった『或る「小倉日記」伝』では第28回、芥川賞を受賞しました。
「この小説は中間小説であって、純文学でもない、大衆文学でもない。ただの伝記小説だ」という有識者の論評に対し、敢然と「小説には純文学小説か通俗小説しかない。私は先人の歩まぬ道を行きたい。だからこの作は、脱領域の文学だと認識していただきたい」と論戦布告しました。

 実際、純文学か大衆文学か、その棲み分けはいまやかなり難しい範疇に入る論点かとは思われますが、私の中では恒に判然としており、一人の主人公の内面を克明に追った作が純文学であり、市井の人々の悲喜こもごも、その哀感を切々と謳った作が、大衆文学だとの認識を抱いております。そういった意味においては、やはり『或る「小倉日記」伝』は純文学だとは思いますが、当の清張が脱領域の文学だと掲げている以上、やはりその論を推するのが正しいような気がします。何故、その清張自身の論を推するかと申せば、その清張自身が他ならぬ純文学の領域だけに留まらぬ作家であったから、というひとつの輝かしい業績、功績が歴然とその生前における執筆活動にて残されているからです。

 ご存知のように、清張は芥川賞受賞後のち、『点と線』という、当時、他に比類無き社会派推理小説なる分野を開いてみせます。推理小説分野においては、それまでのおどろおどろしい古い因習に材を起こし、天才的探偵を配した江戸川乱歩の作や横溝正史の作品等が主流でした。そこに、市井の人を主人公に配して克明な列車ダイアのアリバイを看破させる、このような筋縦の推理小説はやはり当時、かなり斬新だったと申せましょう。それまでにもそういった作はありましたけれど、清張ほどの筋縦を構築できる推理作家が少なかった。ここに純文学、大衆文学、この領域からそれこそ脱した清張自身を後世の我々は見知ることが出来ます。史実に材をとった歴史小説、実際に起こった闇に葬られようとしている事件の探求、事変小説等、清張の天賦の才は、ひとつの領域に留まっていられようはずもなく、様々な分野の小説群をものしました。

 いま、改めてその功績を覗(うかが)う時、清張の飽くなき探究心、そうしてその巧みな筆致体の見事さを鑑みれば、大いなる感慨を覚えます。「私は先人の歩まぬ道を、歩みたかった。」清張はまさしく、その思いを実践した偉人のひとりだと、私は強くここに表明したいと思います。

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   松本清張の蛇足的研究      
   文藝春秋|各賞紹介|松本賞
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霞(かすみ)に煙る森鴎外の碑;森鴎外

 2005・11筆記「我が覚書より」

 10代の頃であろうか、森鴎外の墓に参じたことがある。有名な三鷹の禅林寺。かの太宰の墓もその横にあって、僕はきっと行くまいと肝に銘じていたというのに、当時の知り合い、先輩の異性にせがまれて否応なく参じる羽目になった。幼い時分からどこか臆病なところも多分にあった僕としては、そういった高名な作家の墓に参じることは何かしら畏怖感があるというか怖ろしさが先に立ってしまう為、それまでにも幾度か誘われたがやんわりとお断りしてきた。毎年、7月9日には鴎外忌が催されるので、或いはその年のその日であったのだろうとは想うのですが、小雨が降っていたような……。とにかく記憶にあるその墓は霧のような靄に煙っており、判然としない。実際、この寺で何人の文学愛好家がその命を落としているのかな?、そんな想いに至ってしまったとき、僕はブルッと身震いしたことを想いだす。思想に殉じることは、けだし崇高だとは想うけれど、よくぞこの僕もそういった行動に出なかったものだなという、ある種の感慨、懺悔・・・。天邪鬼でいろいろなものに興味を抱く、翻って思想的に甘いと自他ともに従えられた、僕らしい繰言みたいなものなのでしょうけれど、いまはその思想に殉じた者達の魂がきっと浮遊せず、求めたひとつところに落ち着いていることを切に願う。かつての文学者達が「死というもの」に対してもいかに真摯に見据えていたことか、僕はそういうことを想うとき、自身の今にけっして満足してはならぬという想いに満たされる。まだまだ僕は歩みを止めるわけにはいかないのです。そういう想いがまた沸々と沸きいずる。

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加藤剛(朗読)/名作を聴く(1)〜森鴎外 加藤剛(朗読)/名作を聴く(1)〜森鴎外

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  翻訳blog 奈良の正倉院(8)

  YouTube - 文學ト云フ事05「雁」(森鴎外)

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青春の色香。上着の懐にはいつでもこの詩人の詩集が……;アルチュール・ランボー 

 2006・3筆記

 【ある雑感・わたしの懐かしいひとに寄す】

 私は、このひとの影響を全く享けなかった?、いや甚だしく享けた?……どちらとも言い難い。記憶はもはや彼方にあって、私はこのひとをおおいに愛し、そうして酒浸りでその人生を「正に狂わされた」その方を、いま思う。世間的には未だに無名、だが、そんなことは「きっとちっぽけなことよ」とその方は豪快に笑い飛ばすに違いない。ギター弾きでありました。思想を恒に語るひとでありました。「お前は恒に固定観念に惑わされており、イメージなんてものに囚(とら)われるから良いものが書けねえんだよ」とよく私に悪口を吹きかけてもきたくせに、自分は泥臭い、当時、最早、時代遅れのメッセージ色の濃い、さも、あのボブ・ディランに代表されるかのような楽曲を恒に弾き語っておりましたね。無精ではない、口髭と顎鬚(あごひげ)を蓄え、40ちょい手前かと思わせる風貌とその体躯は大柄であり威圧感がありました。私も随分、酔わされたくちなのですけれど、その方を私はその出逢いの当初から好んでおりましたね。いやいや、なんというか、男として異業な感じが、その全身、漂っていたと申しましょうか?。当時としてももはやあまり見かけないタイプと申しましょうか?。突き刺すかのような独特のまなざしにいま思うに何か背負ったかのような業を感じていたんでしょうかね。

 東京は狛江のその住処に何度もお邪魔して、屈託無い時を過しました。20代の私のそれは、青春の色香。懐かしく芳しき、青春という“迷い人”の色香。何故だか、その方はこの私をいついかなるときでも絶賛し、批判し、非難を浴びせ、賞賛し、そう、四六時中、私のことを語り、そうしてある席で、けれど「俺が出遭った中で、お前が一番、ひとを射抜く言葉を知っている奴だ」と。褒められているのか、けなされているのか、難しい話しを振ったかと思えば、すぐその言葉も乾かぬ内に駄洒落を連発し、けむに巻いてきたりする。なんとも大迎、掴(つか)みどころが無い。ひとを指差し、会話を続ける悪い癖もあったその方なのですけれど、私はいまだにあのひとが、忘れられずにいます。酒とギターをこよなく愛し、酔うと怒りが際立つのか、そのギターを粉々にぶち壊したりしてみたり……。まぁ、よく解らない(笑)。とにかく生き様が無茶苦茶な漢。なのに、翌日にはけろっとした顔で「……また、買ってこなきゃよお」と舌を出して、含み笑いを見せていたお茶目なところもあるひとでした。

 音楽家・立花薫(仮名)。その方のモデル形とも言うべき登場人物。私はあなたをモチーフに章を立てた記憶もありますよ。

 あれから10数年……。幾年(いくとせ)。そうしてあなたがこよなく愛した詩人こそ、そうアルチュール・ランボー、かの異業の詩人でしたよね。ごめんなさい。私はまた在るイメージに囚われて仕方が無い。ランボーの詩集を懐に携えて……そんな姿がもっとも映えたおひとがその方、あなただったよなという気がしています。

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 アルチュール・ランボー、太陽と永遠。
 アルチュール・ランボー - Wikipedia

 アルチュール・ランボー:初期の詩の数々
 
 +++ Rimbaud Illuminations +++
 自分探しの旅に出かける
 テキスト・参考文献
 名著100選
 ランボーを撃つ

 アルチュール・ランボー年譜

 アルチュール・ランボー:生涯と作品 (壺 齋 閑 話) 

 松岡正剛の千夜千冊『イリュミナシオン』アルチュール・ランボオ

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女体に美を絡めるということ;吉行淳之介

 2007・5筆記

 学生時分、思いだすことなど。学科の文学青年仲間で定期的に、ちょっとした集いみたいなものを催していた。そこに現れた、颯爽とした私と同年の青年。彼はひじょうに快活な男で、見てくれも立派、実際、語り口も達者、そんな彼が第一等、好きな作家として掲げていたのが、かの吉行淳之介であった。吉行には、「えもしれぬ独特の鬱積感、じめじめとしたエロチシズムがある」のだと解析する。当時、私は読まず嫌いの方ではないので、吉行の著作も一通り目は通していた。だが、彼ほどの執着ぶり、思想的に感化されるだとか、そういった感慨は受けなかった。「永井荷風だとか、谷崎潤一郎だとか、やはり、女性のなんたるかを書かせたら彼らに勝る作家は、居ない。吉行は、そんな彼らの立派な後継なのさ」弁士豊かだけに、瀧のように言葉が溢れてくる。

 私は、やはりどこか芥川だとか、太宰だとか、執心していて、女体の美なるものに関しても、どこかこう、彼のように立て板に水のごとし、というわけにもいかない。当時の私には、いかに生きるか、の方が身に迫っていて、「えもしれぬエロチシズム」と言われてもどこか上の空のようなところもあった。
 「君は、変わっている。芥川や太宰がいいと言っていながら、川端にも熱心だ。まぁ、それはそれとしても、君の好きな川端だって、いわば俺にいわせれば吉行に通じているのさ。男として人間として、女体を前にして全てのプライドみたいなもの、そういうややっこしいものを解き放って挑みかかる。そういうものを書いている。」
 当時の私は、彼に対してはあまり抗弁もしなかった。川端と吉行は、無論、あきらかに違うと想ったが、彼には私の抗弁に対し、恒に否定的観念を持ち合わせているようで、素直に聞き入るだけの方が、私にはここち良かった。

 彼は当時、自分に酔っていたのだと思う。けれど、そんな彼を私は完全に否定はしなかった。自分に酔える、自分を知っている。彼は恒に溌剌としていた。
 それから何年もたって、一流の銀行マンに転進した彼に逢った時、私は彼にこう、尋ねてみたことがある。「今でも、君の中で吉行が第一等かい!?」彼は、笑みを浮かべてはっきりと私にこう、切り返した。「勿論!!、いまや私生活は吉行の小説、そのまんまだね」私には、彼が眩しく映じてみえた。あれから幾年(いくとせ)。彼はいまだに女体と戯れていると、聞く。

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   想/交わらぬ女体と男体
   はてなダイアリー・吉行淳之介
   吉行淳之介の純愛

   一見吉行風
   吉行淳之介「原色の街」を歩く
   吉行エイスケ - Wikipedia   

   吉行淳之介 『やややのはなし』
   吉行淳之介文学館

   YouTube - 吉行淳之介の愛した女①-5 

   とにかく吉行淳之介

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