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踏み留まらない、恒にその先へ;松本清張

 2006・9筆記

 昭和文壇史上、一際異彩を放つ作家と申せば私の中では松本清張です。齢42にての作家デビュー、森鴎外の小倉日記に材をとった『或る「小倉日記」伝』では第28回、芥川賞を受賞しました。
「この小説は中間小説であって、純文学でもない、大衆文学でもない。ただの伝記小説だ」という有識者の論評に対し、敢然と「小説には純文学小説か通俗小説しかない。私は先人の歩まぬ道を行きたい。だからこの作は、脱領域の文学だと認識していただきたい」と論戦布告しました。

 実際、純文学か大衆文学か、その棲み分けはいまやかなり難しい範疇に入る論点かとは思われますが、私の中では恒に判然としており、一人の主人公の内面を克明に追った作が純文学であり、市井の人々の悲喜こもごも、その哀感を切々と謳った作が、大衆文学だとの認識を抱いております。そういった意味においては、やはり『或る「小倉日記」伝』は純文学だとは思いますが、当の清張が脱領域の文学だと掲げている以上、やはりその論を推するのが正しいような気がします。何故、その清張自身の論を推するかと申せば、その清張自身が他ならぬ純文学の領域だけに留まらぬ作家であったから、というひとつの輝かしい業績、功績が歴然とその生前における執筆活動にて残されているからです。

 ご存知のように、清張は芥川賞受賞後のち、『点と線』という、当時、他に比類無き社会派推理小説なる分野を開いてみせます。推理小説分野においては、それまでのおどろおどろしい古い因習に材を起こし、天才的探偵を配した江戸川乱歩の作や横溝正史の作品等が主流でした。そこに、市井の人を主人公に配して克明な列車ダイアのアリバイを看破させる、このような筋縦の推理小説はやはり当時、かなり斬新だったと申せましょう。それまでにもそういった作はありましたけれど、清張ほどの筋縦を構築できる推理作家が少なかった。ここに純文学、大衆文学、この領域からそれこそ脱した清張自身を後世の我々は見知ることが出来ます。史実に材をとった歴史小説、実際に起こった闇に葬られようとしている事件の探求、事変小説等、清張の天賦の才は、ひとつの領域に留まっていられようはずもなく、様々な分野の小説群をものしました。

 いま、改めてその功績を覗(うかが)う時、清張の飽くなき探究心、そうしてその巧みな筆致体の見事さを鑑みれば、大いなる感慨を覚えます。「私は先人の歩まぬ道を、歩みたかった。」清張はまさしく、その思いを実践した偉人のひとりだと、私は強くここに表明したいと思います。

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