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ひとり、三島を想う時;三島由紀夫

 2005・5筆記

 三島由紀夫が、読まれている。生誕・80年、自決して30年、現代の日本人、その世情においても三島は決して過去のひとでは、無いらしい。幼き頃から文学青年であった私としても、素直に喜ばしきことだと、思いたい。『潮騒』『金閣寺』『仮面の告白』『鏡子の家』『豊饒の海』、様々な三島の心根が、文、綾となって散りばめられている。さる文芸批評家の断によれば、読み次がれている理由のいくつかに、日本の危うい行く末に警鐘を鳴らしていた点、卓抜とした頭脳から導き出された純粋な文章としての秀逸さ、更にトリック・スターよろしく初めて文壇から世論の只中に降りてきた点、などが掲げられている。実際、三島はよく世論の沸騰する只中に降りて来ていた。石原慎太郎氏が目撃したボクシング特訓や、あまりにも有名なボディビル鍛錬、野坂昭如氏の『文壇』においても、しばしば三島は日常、それこそ平々凡々な一市民とのふれあいも欠かさなかったと有る。マスコミ登場頻度も高く、映画に出演したり、とにかく後年の三島は何者かに取り憑かれたかのように、その顔を売っていた。普通、小説家は自身の顔を出来うるだけ隠したがるもので、特にそれは昭和文壇に多い性癖だが、かの川端康成などは写真を取られることを極度に怖れ、カメラのアングルから逃げ廻っていたと、聞く。果たして何故に、三島はああも自身の顔を売る必要があったのだろうか?、三島を揶揄する向き、いわゆる三島嫌いの連中にかかれば、「あれは、自身の才能の枯渇を見たのさ。だから、マスコミに自身の顔を売って取り繕っていただけさ」ということになるのだが、そんな短絡的な三島批難に、三島が残した功績がいとも容易く朽ちるだろうか?。鉢巻を巻き軍服姿の出で立ちの三島は、吼え、意思を伝え、そして自らの命を絶った。急を知り駆けつけた盟友・川端は、その無残な死した三島の姿を見たという。川端の後年、宿で按摩の灸を受けている時、ふと川端は後ろを振り向き、「三島君、来たね?。元気そうだね?」と声を発して按摩を驚かせたという。文章を編むということに文字通り心身を傾けた盟友・三島を失った川端の寂しさ、それは顔を売る三島の、論外、その極にあることだけは私にも判然と察せよう感慨だ。世界に名だたる「文聖」は紐解くにはあまりにも極上の懐を有している。そういうやからは実際、生前の全著作を紐解いたのち論じていただきたい。その一端、手前の段階で 「自身の才能の枯渇を見たのさ」なんて断罪するなんてとんでもないことですよ。

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