女体に美を絡めるということ;吉行淳之介
2007・5筆記
学生時分、思いだすことなど。学科の文学青年仲間で定期的に、ちょっとした集いみたいなものを催していた。そこに現れた、颯爽とした私と同年の青年。彼はひじょうに快活な男で、見てくれも立派、実際、語り口も達者、そんな彼が第一等、好きな作家として掲げていたのが、かの吉行淳之介であった。吉行には、「えもしれぬ独特の鬱積感、じめじめとしたエロチシズムがある」のだと解析する。当時、私は読まず嫌いの方ではないので、吉行の著作も一通り目は通していた。だが、彼ほどの執着ぶり、思想的に感化されるだとか、そういった感慨は受けなかった。「永井荷風だとか、谷崎潤一郎だとか、やはり、女性のなんたるかを書かせたら彼らに勝る作家は、居ない。吉行は、そんな彼らの立派な後継なのさ」弁士豊かだけに、瀧のように言葉が溢れてくる。
私は、やはりどこか芥川だとか、太宰だとか、執心していて、女体の美なるものに関しても、どこかこう、彼のように立て板に水のごとし、というわけにもいかない。当時の私には、いかに生きるか、の方が身に迫っていて、「えもしれぬエロチシズム」と言われてもどこか上の空のようなところもあった。
「君は、変わっている。芥川や太宰がいいと言っていながら、川端にも熱心だ。まぁ、それはそれとしても、君の好きな川端だって、いわば俺にいわせれば吉行に通じているのさ。男として人間として、女体を前にして全てのプライドみたいなもの、そういうややっこしいものを解き放って挑みかかる。そういうものを書いている。」
当時の私は、彼に対してはあまり抗弁もしなかった。川端と吉行は、無論、あきらかに違うと想ったが、彼には私の抗弁に対し、恒に否定的観念を持ち合わせているようで、素直に聞き入るだけの方が、私にはここち良かった。
彼は当時、自分に酔っていたのだと思う。けれど、そんな彼を私は完全に否定はしなかった。自分に酔える、自分を知っている。彼は恒に溌剌としていた。
それから何年もたって、一流の銀行マンに転進した彼に逢った時、私は彼にこう、尋ねてみたことがある。「今でも、君の中で吉行が第一等かい!?」彼は、笑みを浮かべてはっきりと私にこう、切り返した。「勿論!!、いまや私生活は吉行の小説、そのまんまだね」私には、彼が眩しく映じてみえた。あれから幾年(いくとせ)。彼はいまだに女体と戯れていると、聞く。
☆リンク元がリンク切れの際はご容赦ください。
想/交わらぬ女体と男体
はてなダイアリー・吉行淳之介
吉行淳之介の純愛
一見吉行風
吉行淳之介「原色の街」を歩く
吉行エイスケ - Wikipedia
宮城まり子が選ぶ吉行淳之介短編集 /吉行淳之介/著 宮城まり子/編 [本] 販売元:セブンアンドワイ ヤフー店 セブンアンドワイ ヤフー店で詳細を確認する |
![]() |
![]() |
恋愛論 (角川文庫 緑 250-7) 著者:吉行 淳之介 |
« 人間の至上を謳う、我が若き日の道標;ヘルマン・ヘッセ | トップページ | 青春の色香。上着の懐にはいつでもこの詩人の詩集が……;アルチュール・ランボー »
「純文学作家」カテゴリの記事
- ひとり、三島を想う時;三島由紀夫(2009.04.09)
- ゆらりとよろめいているということ;堀辰雄(2009.04.06)
- 霞(かすみ)に煙る森鴎外の碑;森鴎外(2009.04.05)
- 女体に美を絡めるということ;吉行淳之介(2009.04.02)
- 世情に抗する光芒;丸山健二(2009.03.31)
この記事へのコメントは終了しました。
« 人間の至上を謳う、我が若き日の道標;ヘルマン・ヘッセ | トップページ | 青春の色香。上着の懐にはいつでもこの詩人の詩集が……;アルチュール・ランボー »
コメント