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ゆらりとよろめいているということ;堀辰雄

 2006・1筆記

 懐かしい想い出を手繰り寄せるかのように、忘れかけた頃にめくってみたくなる書がある。堀辰雄『風立ちぬ』。
 有名なヴァレリーの詩句「風立ちぬ、いざ生きめやも。」に題を採ったとされるこの小説には、著者が生涯見つめて止まなかったひとの死、最愛の者との儚い別れ、そこから起こる果てしなき心根の葛藤、それらへの連綿たる愁傷感が横溢している。幼すぎて意味も判らず、読みかけで終わっていた書を中学の高学年で読了し、けれどそこに何を僕が判然と見出せようか。この哀感の一書が、僕にぼんやりとさも雲の切れ切れのようにけれどゆっくりとなびくかのように問いかけてきた時分とは、忘れもしない19歳、その終わり頃のことだった。当時、僕はふたつ年上の女性に恋をしており、その女性がこよなく愛した小説家こそ、堀辰雄であり、『風立ちぬ』だった次第。彼女との往来の日々は、僕に数々の夢をもたらしたのだけれど、ここではそのことを深く書き綴ることは控えておきましょう。ただひとつはっきりと記すことがあるとするならば、僕は恋した女性と当時、堀辰雄の世界をしっかりと共有したのだなという真実、これのみ。僕の心根を「愛しきひと」が堀辰雄の世界へと急がせたのだといまでは想えます。

 堀にとって婚約者であった矢野綾子との高原診療所での、いわばサナトリウム生活は果たしてどんな悲哀をもたらしたのか?、昭和の初頭において国民病とも恐れられた結核という病は、後年、抗生物質という妙薬によって次第に人々の畏怖心を取り除いてゆくのですけれど、『風立ちぬ』発表当時(昭和13年)はまだまだ猛威を振るっていた“死病”であり、堀は自身も療養生活を送ったこともある診療所に、婚約者を入所させた。日を追うごとに痩(や)せ衰え、それでもけなげに微笑みを返そうとする婚約者。愛しきひとがいつしかその影も踏めぬ時が来る。これはさぞやのちも生きてゆかねばならない者にとっては運命なんぞという軽々しき言葉では言い尽せぬ想いだったのではと想い巡らした、自身、若年の頃。
 堀辰雄は、その後、50歳という若さで黄泉の国へと旅立っていく。その晩年は病気がちでひとり静かに自室に篭(こも)っていることが多かったと言われております。僕は今日、その書をいま一度、紐解きたくなったのです。もはや感慨ただそれのみではなく・・・・・・。もう一度、この作家ともただ一途に正面から対してみたくなったのです。もう二度と若年の頃の想いには至れぬだろうけれど、僕を揺り動かす衝動。それが、何か?少しその何かの手がかりを掴みたくてまた、その書を開くのです。

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  文学に見る障害者像
  軽井沢を歩く

  堀辰雄のページ
  文化翻訳者としての位置
  堀辰雄文学記念館
  堀辰雄の『聖家族』を読む

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