詩人

中原中也に関する覚書「長谷川泰子という女性」;中原中也2

 2007・2筆記

 長谷川泰子。中也の熱烈な信者でこの女性の名を知らない者はいないであろう。彼女の『ゆきてかへらぬ』によれば表現座の女優時代、稽古場に居るとき中也がダダの詩を見せたのが出逢いの始まりであるらしい。泰子は中也の3歳年上で劇団が解散して途方に暮れている時、「それなら僕の部屋に来ればいい」と中也が助け船を出してふたりは同棲生活に入った。大正13年4月のことである。

   中原中也『ゆきてかへらぬ』 

 僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒ぎ、風は花々揺つてゐた。木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停つてゐた。棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者なく、風信機の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。さてわが親しき所有品は、タオル一本。枕は持つてゐたとはいへ、布団ときたらば影だになく、歯刷子くらゐは持つてもゐたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会ひに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。林の中には、世にも不思議な公園があつて、不気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩してゐて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情してゐた。さてその空には銀色に、蜘蛛の巣が光り輝いてゐた。

 後年、中也が編んだ『ゆきてかえらぬ』には中也らしいメルヘンチックな感情を押し殺したかのような、時として従えがたい胸の高鳴りを自身、必死に押さえつけているかのような文章が仄見える。これに対して泰子自身が編んだとされる『ゆきてかえらぬ』では、こちらにも、それは無論、中也の文章への返句ともいうべき文字の羅列なのだろうけれど、泰子にとっても中也と過ごした時期がやはりそうそう忘れがたい時であったのだと知れる文章が綴られており、興味は尽きない。

 それにしても「さてわが親しき所有品は、タオル一本。枕は持つてゐたとはいへ、布団ときたらば影だになく、歯刷子くらゐは持つてもゐたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。」とは全く貧乏学生の悲哀ごとにふさわしい佇まいであろうと思える。中也は一体、うら若き中也は一体、泰子に何を望んだのだろうか?。か弱い、けれど理想だけは高邁な中也、十七歳の春の日の出来事であった。

 もうすぐ18歳になろうかという大正14年3月、中也は21歳の泰子を連れて上京する。上京先には富永太郎、そしてその友人の、のちに「批評の神様」と謳われることになる小林秀雄が居た。富永は自身の詩を載せた同人誌の刊行に奔走しており、小林はこの時代、小説執筆に血なまこになっており、こういった新しい世代の挑戦に中也が刺激を受けなかったはずがない。だが自作はまったく評判を呼ばなかった。では現実的な生活、泰子との共同生活における資金的生活手段はどこから得ていたのか?、言うまでもなく、実母になんやかやと嘘をつき生活資金を送金してもらっていた。中也愛好者の間では有名な話しだが、母・フクはのちにそんな中也のことを「肝焼き息子」と呼んでいる。中也のつく嘘に対して薄々それが虚偽だと判っていながらも可愛い息子の為にお金を工面し、送金する。いつの時代でもある、親の子に対する甘やかしぶり、と想えなくも無い。要は中也がそんな親バカぶりにかこつけて送金を恒にせがんでいたという、複数の証言事実。中也のちょっとここに人間性と言いますか、ひととしての欠陥が仄見えるようで面白い。ただ、まだ彼は10代。中也のそんな性癖を糾すには手厳しいと取るか、いや、みんながまぁそんなもんだと好意的に捉えるか、否かは論評としては分かれることではあろう。

 更にこの頃から中也にはもうひとつの性癖があって、それがあの誠に有名な酒癖の悪さ。日頃の憂憤は自ずと同棲している泰子がもっともとばっちりを食う。酔っては四方八方に管を巻き、酔ってはいても食うには酔えぬ我が暮らしぶりとばかりに中也の詩は全くといってよいほど人々の俎上には登らずじまい。青年期特有の、希望と絶望の狭間でゆらりゆらりと、きょうはこちらにあすはあちらにと絶え間なく交錯する中也の胸中・・・・・・。

   汚れつちまつた悲しみに……

 汚れつちまつた悲しみに今日も小雪の降りかかる

 汚れつちまつた悲しみに今日も風さへ吹きすぎる 

 汚れつちまつた悲しみはたとへば狐の革裘 

 汚れつちまつた悲しみは小雪のかかつてちぢこまる

 汚れつちまつた悲しみはなにのぞむなくねがふなく

 汚れつちまつた悲しみは倦怠のうちに死を夢む

 汚れつちまつた悲しみにいたいたしくも怖気づき

 汚れつちまつた悲しみになすところもなく日は暮れる……

 あまりにも有名なこの詩句に中也は自身の何を見出そうとしたのだろう?或いは何を託そうと努めたのだろうか?、或いはもっと違う何ものかに対する憤りか?。中也の呟く「汚れつちまつた悲しみ」とは、何を指してそう、呟かせたことだろう。中也の泰子との共同生活における苦渋はどこまでも果て無く続いていくようだった。

 そんな中也の同棲生活にあって、のちに文壇史的に「奇妙な三角関係」と称される事件が起こる。同居の泰子が知人関係にあった小林秀雄の元に立ち去ったのである。この「女に逃げられた」中也における、あまりにも有名な事変はかなりの衝撃を持って中也の深奥を揺さぶった、らしく、友人の大岡昇平に拠れば「見るも無残、ふた眼を覆い尽くしたく」なるほどの落ち込みようであったと言う。この辺が、後年、中也の詩が人々の心根をつらぬく理由とも称され、つまり中也は世俗的な事柄から精神的な高みに、結局、達せられなかった俗詩人なのであって、ゆえに、その詩は市井の人々の感慨をたくましくさせる、結果にもなっているのでしょうけれど、それにしても「ふた眼を覆い尽くしたくなるほどの落ち込みよう」とは、一体、いかなる按配だったのでしょう。中也はこの頃の感慨を一片の詩に託した。こういった胸中を「詩に潜る」と言うのですけれど、中也には幸い、詩を書くという行為が残されていた、或いは与えられていた、と申せましょうか。 しかし小林秀雄『中原中也の思い出』に拠れば、小林は「中原と会って間もなく、私は彼の情人に惚れ、三人の協力の下に、奇怪な三角関係が出来上がり、やがて彼女と私は同棲した。この忌まわしい出来事が、私と中原との間を目茶目茶にした」と語り「ふた眼を覆い尽くしたくなるほどの落ち込みよう」中也の見姿とは、実際、符合しない。識者に拠れば中也自身の了承のもと、小林と泰子の関係は成り立ったとされているが、ならば、のちのあの中也のまるで辛酸を舐めたかのような詩は、やはり合点がいかないということになる。やはり、中也は口惜しかったのだと思う。泰子を奪われた、というまさに世俗的出来事に、自身、屹然と律し得なかった、だからこそ反って「落ち込みよう」の最下層まで行き着いてしまってまさに道化てしまわねば仕様も無い心境と相成ったのではないか?
 ここに中也のあらたなる煩悶煩瑣の日常が更に深い悔恨の胸中を作り出す羽目となった。中也、18歳、大正14年、秋、11月のことである。

 僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。僕は雨上りの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きている。僕に押寄せているものは、何時でもそれは寂漠だ。       「いのちの声」

 そんな寂漠とした胸中に陥りたい、中也の心根はいやに落ち着けず、せわしない。この頃、いかに中也がその胸中に寂寥感を宿していたことか、翻ってこの詩が明確に物語っている。

 やがて泰子は小林とも別れた。二十二歳になっていた中也は、そんな泰子に再び恋慕うかのような詩を書く。だが世間的には全く無名であり、ゆえにその詩は、反って崇高であったかも知れず。中也は酒に溺れくだを撒き散らし、ここに後年、度々取り上げられる、その端正な顔立ちとはあまりに似つかわしくない中原中也像が出来上がる。

 女に逃げられてめそめそと泣き、心中固まって詩を書く。酒を浴びるように飲んで管を巻き、他人に罵詈雑言、一応に嫌われる中原中也像が出来上がった。けれどもその詩は世情に登るほどの力を有してはいなかったのだ。これではまるで三文役者のそれのように安っぽい日常生活そのものではないか?。だが、ここに中也の後世、様々な市井の人々にこよなく愛されることになる、詩人・中原中也のまさに人生の艶とも言うべき、つまり愛着感のある人間性が形作られていく。

 詩人とて、ひとの子であるという側面をしっかりとさもそれを意識したかのような人生を歩んだ人間詩人こそ、中原中也であったのだという、解釈。

 かの種田山頭火は「どうしようもない私」を問い質す為に見知らぬ諸国を放浪し、定住の地を自身に与えなかった。それは煩瑣な日常から逃れる手段を境遇的に神から与えられた山頭火独自の特権と呼べなくも無い。普通、市井の人々はどこかそんな山頭火に憧れを抱きつつも、妻や子を有しこのしがらみから逃れられない自身を悟るものだ。だが山頭火は歩き出していった。どこへ?何の為に?。己を知りたいが為に、であろう。では、中也はどうであったのか?、中也は、ここに居た。そう、市井のど真ん中で死ぬまで市井の人間に取り付く苦悩の日々を背負い込んで、生きた。そうして中也は昭和十二年、結核性脳膜炎を煩い三十歳という若さで死んだ。文学史的には、彼の『春日狂想』あたりが遺言の境地に近いとされる。    

   馬車も通れば、電車も通る。
   まことに人生、花嫁御寮。
   まぶしく、美しく、はた俯いて、
   話しをさせたら、でもうんざりか?
   それでも心をポーツとさせる、
   まことに、人生、花嫁御寮。

 中也らしい、まことに逆説的哀感の伴った詩だ。市井の只中を生きたゆえに、昭和八年十二月、上野孝子なる遠縁の妻も得た。翌年、長男文也の誕生、その二年後、その愛子の死。市井の只中に生きるゆえ、市井の哀感を一身に受けねばならない。まるで、この世では見えぬ、雲の上の住民に翻弄されているかのような中也。昭和十一年、『六月の雨』(文学界賞エントリー)を編む。

  またひとしきり 午前の雨が 菖蒲のいろの みどりいろ 眼うるめる 面長き女 たちあらはれて 消えてゆく たちあらはれて 消えゆけば うれひに沈み しとしとと 畠の上に 落ちてゐる はてしもしれず 落ちてゐる お太鼓叩いて 笛吹いて あどけない子が 日曜日 畳の上で 遊びます お太鼓叩いて 笛吹いて 遊んでゐれば 雨が降る 櫺子の外に 雨が降る

 中也は「どうしようもない私」と真正面から向き合い、愛子の死もこのように真正面から自身の胸中を問い質した。逃れる者と逃れられない者、どちらにも非も無ければ是も、無い。そこには中也がもしも、山頭火の歳まで長生きしたらという仮説さえ必要としない、まさにひととしての業、それゆえの圧倒感がその根には宿している。中原中也は市井の只中を生き、早々と燃え尽き、そして静かに死んでしまったのだと私には思えて仕方がない。  

 昭和十二年十二月号『手帖』に拠れば、かの小林は先般亡くなった中也に対し最大限の賛辞を贈り、彼の詩、前掲の「六月の雨」を取り上げている。「世間からも文壇からも顧みられず」「何処かで鼠でも死ぬように死んだ」「時代病や政治病の患者等が充満しているなかで、孤独病を患って」ひっそりと死んだ中也を「日本人らしい、立派な詩を書いた詩人」であった、と悼んでいる。時は、第二次世界大戦の最中、かつて互いに夢を語り合った友への悔恨と憐憫の情が、色濃く反映化された追悼文ではあろうと思います。中也は西に生まれ、様々な恋愛を経て上京し、やっと落ち着いた先でも、多くの識者が説く通り「まるで神に翻弄されるかのように」そこでも、愛子の死に遭遇し、苦悩の只中を生きてきた。<BR> 或る詩人は、里を離れ、自身の精神をより深く知りたいが為に隠遁する。或る詩人は、高らかに生を歌い上げ、自身、人間というものを肯定、したいが為により良く自分を律し生きようとする。中也は、そのどちらをも選ばず、よってその詩は、時に高揚しているかのように思えても、次章ではまるで卑下しているかのように幻滅感を漂わせてみせたりする。この心の有りよう、振幅の激しさこそ、現世でその只中で等身大で生きた、中也の性格をそのまま現している。甚く痛切で、甚くもの悲しい。中也の生き様を、生前の折においても、その恋愛に対する情の激しさから「俗詩人」と揶揄する向きもあったというが、中也は必死にもがいてそこから脱しようとはかってみたり、ええ、その通りですと真から悲しんでみたりした。夭折の天才詩人、いや中也はきっと私達とおんなじ、俗世を一直線に生きた一己の人間であったのだと感じます。俗世に生きながら、ただその俗世の出来事に埋没してしまい、その人生を台無しにするか、或いは何がしかの方法で、自身を昇華させようと計るか、中原中也という人間は、その想いを、そう、きっと詩を織るという行為に賭けたのでしょうね。この稿を閉じるにあたって、最後にこの詩を掲げたいと想います。

   骨

  ホラホラ、これが僕の骨だ、
  生きてゐた時の苦労にみちた
  あのけがらはしい肉を破つて、
  しらじらと雨に洗はれ
  ヌックと出た、骨の尖(さき)。


  それは光沢もない、
  ただいたづらにしらじらと、
  雨を吸収する、
  風に吹かれる、
  幾分空を反映する。


  生きてゐた時に、
  これが食堂の雑踏の中に、
  坐つてゐたこともある、
  みつばのおしたしを食つたこともある、
  と思へばなんとも可笑しい。


  ホラホラ、これが僕の骨――
  見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
  霊魂はあとに残つて、
  また骨の処にやつて来て、
  見てゐるのかしら?


  故郷の小川のへりに、
  半ばは枯れた草に立つて
  見てゐるのは、――僕?
  恰度(ちやうど)立札ほどの高さに、
  骨はしらじらととんがつてゐる。


    『骨』/『中原中也詩集』大岡昇平 編(岩波文庫)

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おまえは何をしてきたのだと-僕の中の中原中也;中原中也 

   2005・5筆記

 中也はいまだに僕に呟いてきます。 
 「雲の間に月はいて それな汽笛を耳にすると 悄然として身をすくめ 月はその時空にいた それから何年経ったことか 汽笛の湯気を茫然と 眼で追いかなしくなっていた あの頃の俺はいまいづこ……頑是ない歌より」 あれは、そう確か僕が中学生の頃、十代の頃でした。学校の図書館の四隅の本棚にその本はひっそりと、さも僕が手にし易いように置かれていましたっけ。中原中也『在りし日の歌』

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 この詩人にはじめて接した時の感動は未だに僕の記憶から消えていません。ああ、なんと悲しい歌が綴ってあるのだろう、なのに何故、これ程までに優しい心根で読み進んでゆけるのだろうか? それ以来、この詩人の著作、様々な作家の描く中也の実像が知りたくてたくさんの書物をひもといてきたつもりです。そこから推察されうる彼本来の性質はその悲しく優しい詩とはあきらかに違ってかなり猛々しいですよね。あの中也の肖像からはとても及びもしない荒々しい性格。そこからつむぎだされた読む人の心根を優しく愛撫するかのような詩の羅列。僕なりのこれはまったく僕なりの私感なのですが、中也はかなりの孤高の人だったのではないのかなと。なかなかその詩境が他に理解されず絶えず苦悩していた。酒を飲み管を巻き暴言をわめきちらす中也の姿はつとに有名ですけれど、そして人としてはかなりの嫌われ者だったという気もします。ただそんな荒くれ者がえてして人間の本質をえぐることに長けていたりするものでけっして他者からむげに排除されうる存在ではないはず。そんな性質の多くの者達が世間の片隅に追いやられてゆく中で中也には、けれど詩があった、つまりそれはひいては詩の世界に逃げることができた、あるいは耽溺できる世界があったとも言えましょうね。「ホラホラ、これが僕の骨だ、生きていた時の苦悩にみちた あのけがらわしい肉を破って、しらじらと雨に洗われ、ヌックと出た、骨の尖。……骨より」 中也はいま草葉の陰でどんな管を巻いているのでしょうか?おお~い、中也!いい酒を持ってきたぞ、一緒に飲もうや!!

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青春の色香。上着の懐にはいつでもこの詩人の詩集が……;アルチュール・ランボー 

 2006・3筆記

 【ある雑感・わたしの懐かしいひとに寄す】

 私は、このひとの影響を全く享けなかった?、いや甚だしく享けた?……どちらとも言い難い。記憶はもはや彼方にあって、私はこのひとをおおいに愛し、そうして酒浸りでその人生を「正に狂わされた」その方を、いま思う。世間的には未だに無名、だが、そんなことは「きっとちっぽけなことよ」とその方は豪快に笑い飛ばすに違いない。ギター弾きでありました。思想を恒に語るひとでありました。「お前は恒に固定観念に惑わされており、イメージなんてものに囚(とら)われるから良いものが書けねえんだよ」とよく私に悪口を吹きかけてもきたくせに、自分は泥臭い、当時、最早、時代遅れのメッセージ色の濃い、さも、あのボブ・ディランに代表されるかのような楽曲を恒に弾き語っておりましたね。無精ではない、口髭と顎鬚(あごひげ)を蓄え、40ちょい手前かと思わせる風貌とその体躯は大柄であり威圧感がありました。私も随分、酔わされたくちなのですけれど、その方を私はその出逢いの当初から好んでおりましたね。いやいや、なんというか、男として異業な感じが、その全身、漂っていたと申しましょうか?。当時としてももはやあまり見かけないタイプと申しましょうか?。突き刺すかのような独特のまなざしにいま思うに何か背負ったかのような業を感じていたんでしょうかね。

 東京は狛江のその住処に何度もお邪魔して、屈託無い時を過しました。20代の私のそれは、青春の色香。懐かしく芳しき、青春という“迷い人”の色香。何故だか、その方はこの私をいついかなるときでも絶賛し、批判し、非難を浴びせ、賞賛し、そう、四六時中、私のことを語り、そうしてある席で、けれど「俺が出遭った中で、お前が一番、ひとを射抜く言葉を知っている奴だ」と。褒められているのか、けなされているのか、難しい話しを振ったかと思えば、すぐその言葉も乾かぬ内に駄洒落を連発し、けむに巻いてきたりする。なんとも大迎、掴(つか)みどころが無い。ひとを指差し、会話を続ける悪い癖もあったその方なのですけれど、私はいまだにあのひとが、忘れられずにいます。酒とギターをこよなく愛し、酔うと怒りが際立つのか、そのギターを粉々にぶち壊したりしてみたり……。まぁ、よく解らない(笑)。とにかく生き様が無茶苦茶な漢。なのに、翌日にはけろっとした顔で「……また、買ってこなきゃよお」と舌を出して、含み笑いを見せていたお茶目なところもあるひとでした。

 音楽家・立花薫(仮名)。その方のモデル形とも言うべき登場人物。私はあなたをモチーフに章を立てた記憶もありますよ。

 あれから10数年……。幾年(いくとせ)。そうしてあなたがこよなく愛した詩人こそ、そうアルチュール・ランボー、かの異業の詩人でしたよね。ごめんなさい。私はまた在るイメージに囚われて仕方が無い。ランボーの詩集を懐に携えて……そんな姿がもっとも映えたおひとがその方、あなただったよなという気がしています。

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 アルチュール・ランボー、太陽と永遠。
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 アルチュール・ランボー:初期の詩の数々
 
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 ランボーを撃つ

 アルチュール・ランボー年譜

 アルチュール・ランボー:生涯と作品 (壺 齋 閑 話) 

 松岡正剛の千夜千冊『イリュミナシオン』アルチュール・ランボオ

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たとえ異土の乞食となるとても;室生犀星

  2005・8筆記

  ふるさとは遠きにありて思ふもの

  そして悲しくうたふもの

  よしやうらぶれて異土の乞食となるとても

  帰るところにあるまじや

  ひとり都のゆふぐれに

  ふるさとおもひ涙ぐむ

  そのこころもて

  遠きみやこにかへらばや

  遠きみやこにかへらばや

 よしやうらぶれて異土の乞食となるとても(異土とは古里では無い場所)、よもや乞食となるとても帰るところにあるまじや、と室生犀星は、その書、小景異情で謳った。21歳で、その古里・石川は金沢を捨て上京。文人として立身したき想いを断ち切れずの上京ではあったが、金に窮するとその古里・金沢に度々帰郷し、叔父に無心した。だが、そんな詩人の現実の隘路愁盲には、こんにち興味はない。あるのはこの詩が未だに燦然と光芒を放っているという事実のみ、ばかりである。

  室生犀星記念館

  室生犀星

  ほら貝*作家事典

 小景異情は1913年度の作だから、今から100年近い前の作、ということになる。そんな言わば古臭い作が未だに国語の学習や詩文の啓示作として、その命を終わることなく読み継がれているのは何故、だろう?。文学史的にはかの萩原朔太郎が、北原白秋の主宰する「朱欒」に掲載された室生犀星の「小景異情」に衝撃を受けた、とされる。明治の新体詩運動以来の口語体詩への試み、ゆえに流暢な韻文でなければならないなどといったいわゆる無意識化の拘束がこの詩にはよもや見られない。「小景異情」はまさに流暢な韻律などというこじんまりとした世界観にこだわらない口語体詩として、朔太郎以下様々な異能士に衝撃を与えた。のち朔太郎は犀星と親交を結び、山村暮鳥と共に人魚詩社を設立するなど、生涯に亙る盟友ともいうべき存在になるのだが、 やはりこの詩には現実を直視し、たゆまぬ明日への希望を捨てぬ者へのさやかな応援歌として揺ぎ無い何かが、ある。100年立っても、ひとののし上がろうという欲求は、ああ、変わらぬものなのだとちょっと斜めに嘆いてみるべきか、いやそういった、人生をそれこそ判りきったかのような醒めきったかのような呟きを越えた先に、やはりこの詩は存しているような気がする、とでも論じてみせるべきだろうか?。

 この詩は100年、持った。ならばその深さを僕は改めて覗いてみたくもなるというものだ。ひとの情緒は時代と共に変遷すれど、言葉の中の深奥は恒に永遠普遍なるものであるということなのであろう。

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性に眼覚める頃
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